2008年09月22日

名護漁港セリ市散策体験 @ 沖縄

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以前行った沖縄の冊子を久しぶりに見ていたら、
名護漁港セリ市散策体験&
ヴィラズ内和食レストラン『神着(かぬちゃ)』シェフ料理
というのがあった。

それによると、一般人が入れないセリ市に
ホテル・スタッフが案内してくれるそう。

朝、名護漁港(漁協)にてセリ市を見学し、
実際にセリを体験した後は、
自身で選んだ魚を仲買人に競り落としてもらえるんだとか。
それでもって、その魚をスタッフがホテルへ持ち帰り、
ホテル・シェフがお好みの料理に調理。

活き造り、塩焼き、煮付け、唐揚げ、お汁などなど、
『神着(かぬちゃ)』のメイン・ダイニング
満喫できるというからこれまた凄い。
その日に獲れた魚をその場で食べることって
滅多にないからね。

南国の楽園風景に囲まれながら、
洗練されたリゾート空間で、
沖縄ならではのシェフ御自慢のお魚を
是非いずれ楽しんでみたいものです。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/
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琉球在来豚アグー

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アグーってよく耳にするけどあんまりよく知らない豚だよね。

琉球在来豚アグーは14世紀に
中国との進貢貿易の仲介役として琉球に移り住みました。
久米三十六姓と呼ばれる中国人の集団が持ち込んだとか。
その後、長い年月の間、琉球王国で親しまれ、
飼われ続けてきたらしい。

しかし、アグーは小型で生産性が低く、
一回の出産で生まれる子豚の数も少ないよう。
しかも、廃藩置県後の明治以降に始まった
肉の増産を目指す国策により、
外国の大型種と交配され、雑種化されていった模様、
更に第2次大戦では戦闘の影響によりその頭数自体が激減。
故に戦後の沖縄養豚は西洋白色種の豚が主体となってしまったのです。

アグーが再び注目されるようになったのは1980年代に入ってからで、
在来家畜が消滅することに危機感を持った名護博物館
琉球在来豚アグーの保存に乗り出したのがきっかけ。

それでも、当時の調査で確認できたのは県内でわずか30頭、
その生産性・経済性の低さから、
残念なことに一般の養豚関係者の興味をそそりませんでした。

その中で唯一、沖縄県立北部農林高校が繁殖に協力し、
限られた個体同士やその子孫間の交配をすることによって、
ゆっくり、少しづつその数を増やしていきました。
現在沖縄県内で飼養されているアグーの多くはその末裔。

こうして絶滅の危機はまぬがれた琉球在来豚アグーですが、
近親交配が繰り返されたことによる繁殖障害問題に直面しました。
幸い沖縄県内の何軒かの養豚場には
未確認の個体がひっそりと残っていたとかで、
これらの個体を交配に利用することにより、
繁殖障害を減らすことができているそうです。

近年は沖縄食文化の中心にある豚肉の中でも
優れた肉質を持つ沖縄固有の豚・琉球在来豚アグーを
遺伝資源として保存・活用していく為に
『琉球在来豚アグーの遺伝的資源の確保・安定供給体制支援事業』
が実施されています。

今後も沖縄ブランド豚の作出に努め、
琉球在来豚アグーの保存に少しでも貢献したいというのが
この事業の趣旨のようです。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/
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日本初の本格的ラグタイム・オーケストラ誕生

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日本初の本格的ラグタイム・オーケストラ誕生、

祝『GRANDPA'S RAGTIME ORCHESTRA』!!!!

ジャズ&ラグタイム 


【ピアノ:アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ 】
サンクト・ペテルブルグ出身。幼少よりピアノを始め音小・音中・音高を経てリムスキー・コルサコフ音楽大学、ケルン音楽大学(クラシック・作曲科、クリストフ・メイヤー教授、ジャズ・ピアノ科、ジョン・テイラー教授師事)にて10年間修学(ドイツ及びロシアの大企業より奨学金取得)。クラシック作品(チェロとピアノの2重奏、ソプラノのための歌曲、電子音楽の無限大カノン、ヒンデミス・ピアノ曲のオーケストラ化、ロシア民謡楽団のための日本歌曲他)・オーケストラ共演多数。ロシア最高のラグタイム・ピアニスト、ジャズ・オルガン奏者として様々なジャズ・フェスティヴァルで活躍。また、作・編曲家としても国境を越えて活動。報道記事、ラジオ録音多数。ドイツ文部大臣、ロシア政府、ヨーロッパ貴族認定の実力。日本各地で公演の他、今後、多くの国際ジャズ・フェスティバルに 出場予定。2004年8月にデビューCDをリリース。



【ヴォーカリスト:裕美・ルミィヤンツェヴァ】 
横浜出身。4歳より音楽教室に通いオルガン・ピアノ 《阿部明子(武蔵野音楽大学卒)、井上百合子教授(東京芸術音楽大学・同大学院卒)師事》・アンサンブル演奏・声楽に携わる。希望ヶ丘高校卒業後、語学留学(英)、ケンブリッジ大学検定試験特級コースを終了。ドイツ留学を経て、独語、独文学、ドイツ語経済・産業・商業の資格を取得。詩人、ジャーナリスト、翻訳・通訳家として国境を越え活動。同時に、ナイツブリッジ大学にて 英文学専攻(フォン・ツークバッハ教授師事)。後に、ロシアにて本格的に音楽活動。アレェクサンダー・カヴァレンカ(リムスキー・コルサコフ音楽大学声楽科卒)師事。数々の国際ジャズ・フェスティバルに出場しマスコミより注目を浴びる。フリーランスとして、ジャズ欄、文化・芸術欄にて連載。イベント企画に力を注ぎ、ショウ・ビジネスの世界でも活躍。



【クラリネット:後藤 雅広】 
北海道出身。法政大学卒業後渡米、ニューオーリンズで現地のミュージシャンと交流を持ち、ニューオーリンズ名誉市民に登録される。外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加,プロ活動を開始、以後東京ディズニーランドでも15年間演奏。1998年退団後フリーランサーとして活動している。自己のバンドのほか中川喜弘とデキシーサミット、白須孝尚とスイングボックス、田畑貞一G、浅草ハブ・デキシーランダースなどに所属。都内及び近郊のライブスポット(スイング、スイングシティ、関内BARBARBARなど)にて主に活動中。録音CD多数、ロサンジェルスのクラシックジャズフェスティバル、サクラメント・ジャズジュビリーに1999年、2000年連続参加。1999年録音した「ロッキン・イン・リズム」は月刊ステレオ(音楽之友社発行)で2000年度のポピュラー部門優秀録音年間第2位を受賞。



【ウッドベース:小林 真人】
東京出身。早稲田大学ニューオリンズジャズクラブでベースを始め、三上和彦のグループでプロ入りスタートした。1983年サクラメント・ジュビリー(故)マキシン・サリバンのサポートを受け持ち、1988年外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加、1993年にフリーとなり現在は 北村英治のグループに在籍(1996年から3年間オランダプレタジャズの出演)スタイルに関係なくスイングするベースマンを心掛けている。



【トランペット:筒井 政明】
福岡県出身。関西大学時代にビッグバンドのトランペットでバンマスを務める。卒業後上京し、1978年スイング・ジャーナル最優秀新人賞受賞。小林陽一バンド、高瀬アキバンド、チャーリー石黒と東京パンチョス、自己のバンドなどで活動、1982年からは『薗田憲一とディキシー・キングス』にも在籍、日本のみならず海外へも親善使節として遠征。現在も筒井政明&レッド・シェイカーズ、北村英治クインテットをはじめとする多々のバンドで活躍、ディキシー、スイング、モダンジャズと幅広く演奏し、都内ジャズ・クラブ(銀座スイング、シグナス、ナッシュビル、赤坂Bb他)や各種コンサート、小中高の学校公演などに出演。また、トランペット講師としても経験を積み、ミューズ音楽院、ヤマハのクリニックなどを経て、現在は個人レッスンで初心者の奏法からジャズ演奏・アドリブなどを指導している。


【ウッドベース&チューバ:加藤 真人】
通称加藤人、北海道十勝の上士幌町出身のチューバ&ベース奏者。帯広三条高校、日本大学芸術学部音楽学科卒。チューバ奏者としてデキシー・キャッスルを経てフリーとなり、26歳からウッドベースに挑戦。花岡詠二&スイング・ショッツ、スタイル・オーケストラのレギュラー・ベーシストとして、ディキシー&スイング系の多くのプレイヤーと共演。自己のグループでは地元の上士幌町の北海道バルーン・フェスティバルのコンサートに10年に渡って出演し好評を博している。


【クラリネット:高橋三雄】
横須賀市出身。地元の栄光学園中学校ブラス・バンドでクラリネットを習得、大学時代にサックスも開始し、クラシックからジャズまで幅広い演奏活動を行う。この頃からニューオリンズ・ジャズに目覚め、他大学の学生とニューオリンズ・ストンパーズを結成し、ニューオリンズ・ジャズを追求。入社後大阪転勤を機に『ニューオリンズ・ラスカルズ』に加入、毎週曽根崎『ニューサントリー5』でライブを重ねる傍らラジオ出演やレコード制作を行う。ニューオリンズ・ジャズ普及の功績が認められ、ニューオリンズ市より名誉市民章を授かる。同章受賞の際、ニューオリンズのみでなく全米を演奏旅行し好評を博す。東京帰任後も東京の唯一のニューオリンズ・バンド『ラグピッカーズ』に参加。1999年サラリーマン生活をリタイアし、アルト・サックスとクラリネットのワン・ホーン・バンド演奏活動を開始。現在は東京、湘南、横浜等を中心にライブ活動を行う一方、県央のビッグバンド、Big18オーケストラでリードアルト奏者を長年務める。2002年から演奏活動の傍ら『高橋サックス教室』も開設、後進の指導にも当たりつつ、『歌心を重視し良い音でスインギーなジャズ』を自身の音楽的信条としている。


【トロンボーン:松本耕司】
関西出身、若い頃から吹奏楽に携わり精力的に活動、我が国のグレン・ミラーと言わんばかりに譜面をアレンジしつつ、数々のバンドを率いるトロンボーン奏者。新宿トラッド・ジャズ・フェスティバルで活躍中のトロンボーン・サミットをはじめ、松本耕司カルテット 、松本耕司とのディキシー・トリオ、松本耕司&City River Jazz Bandなどなど、様々なバンドで名演を披露している。北浦和ペントハウス、新宿銅羅、北浦和 パラダイス・ロードと関東界隈のライブ・スポットから、北浦和西口音楽祭、サッチモ祭、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブ稲門会、赤煉瓦サマージャズin 舞鶴と日本全国のジャズ・フェスティバルまで、巧みなMCと幅広いレパートリーで人気を博しているベテラン・プレイヤー。


【ドラムス:東城弘志】
1970年広島出身、早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズ・クラブのOB、2006年7月よりニユーオーリンズ・ノウティーズにレギュラー加入。普段はホテルの調理人を務め、包丁とスティックを上手く使い分け、仕事にライブにと走り周っている多彩な才能の持ち主。走り周るのに大切な栄養学とニューオーリンズ・ジャズ・ドラム奏法に生きがいを感じつつ、キャナルストリート・ジャズハンドをはじめとする様々なバンドで活動中。2001年3月に初めてニューオリンズの街を訪問し、本場の音楽を体験、2005年にハリケーン被害に見舞われたジャズの発祥地の為に復興援助活動に力を注ぐ傍ら、『大好きな街への恩返しとして、僕はニューオリンズ・ジャズを続けます』と決意、ニューオリンズ・サウンズをより多くの人々に聴いてもらいたいと精力的に活動している。


【ドラムス:木村純士】
1993年、関西にて大阪音楽大学の学生を中心に結成されたBLACK BOTTOM BRASS BANDでスネアドラム・パーカッションを務める売れっ子スター。スト リート・パフォーマンスが話題になり、1996年、ポニーキャニオンよりメジ ャー・デビュー。1997年、憧れのニューオリンズにてライブ&レコーディングが実現し好評を博す。新聞・雑誌で取り上げられ話題になって以来、ニューオリンズのミュージシャンと親交を深めている。別名はOji(オウジ)、ニューオリンズ・ラスカルズのドラマー木村陽一氏の御子息であり、同じくドラムの名手。2000年、プライベート・スタジオ『キンシャサ・ スタジオ』を設立した他、2003年 、ビクターより結成10周年記念アルバムをリリース。バンド・メンバーと力を合わせ、全国各地で大活躍、青少年に目を向け開催しているワークショップ活動も大好評、子供たちに音楽の素晴らしさを伝え続けている。



【トロンボーン:市川勉慶】
遊び心ある父親、故薗田憲一に『人から忘れられない名前を』と勉慶(べんけい)と名付けられたが、流石に弁慶でなく勤勉の『勉』を含む『勉慶』。大学卒業後、映像制作会社に2年程勤務したが、癌闘病生活中の父親の代わりにエキストラ出演していた中島三郎のパワフルなトロンボーンに影響を受け、学生時代から吹いていたトロンボーンを続ける決意、Dixieland Jazzの道を目指す。言うまでもないが、勿論、父の奏でるトロンボーンに魅了され、特別思い入れあるこの楽器に愛情と情熱を注ぎ込んでいる。現在、薗田憲一とデキシーキングスのトロンボーン奏者としてイベント・コンサート、ライブなどに参加する他、自己のバンド、F-BENKS・Shining Fellowsで活躍中。



【クラリネット:新谷健介】
1982年生まれ 26歳、10歳からクラリネットを始める。『早稲田大学ニューオルリンズジャズクラブ』でトラディショナルジャズを覚える。現在、洗足音楽大学ジャズ科で学び中。 『ニューオリンズジャズハウンズ』所属、2008年5月 ニューオリンズのジャズフェスティバル出演



【チューバ&バンジョー:関多加志】
横須賀出身、横須賀育ちのサラリーマンである傍ら、楽器、鉄道、車をこよなく愛し、チューバ&バンジョー奏者として様々なバンドに参加。第4級アマチュア無線技士、原動機付自転車運転免許、第1種普通自動車運転免許、普通自動2輪車(小型限定)運転免許、第1種大型自動車運転免許、第1種けん引自動車運転免許を所持しつつ、鉄道マニアという独特の趣味を持ち、スバル LE−TV1(サンバーバン)、スズキ コレダS10(K125)、五羊本田 WH125−3(CG125)、ホンダ A−C50(スーパーカブ)&安い自転車を愛車としている風変わりな男児。そんな彼が最も尊敬する人があのスパイク・ジョーンズ、デキシー、ラグタイム、コミックバンド、カントリーの要素をたっぷりと吸収している軽快な2ビートの音楽を好む演奏家だけにステージ展開が毎度楽しみ。面白可笑しいコメディーの醍醐味をよく知っているショウ・ビジネスへの理解がとても深いプレイヤー。




お気軽にご連絡下さい!!! nqb30846@nifty.com

心よりお待ち申しあげております。

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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アンリー・デュナンの謎

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先日、赤十字関係者と会食致しました。
その際に頂戴したのが赤十字創始者、アンリー・デュナンのしおり。

本名はジャン・アンリ・デュナン、フランス語でJean Henri Dunant、
1828年5月8日 から1910年10月30日を生きたスイスの実業家。
赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞、
生没年はあのロシアの小説家、レフ・トルストイと同じだとか。

生まれはスイスのジュネーヴ、
自分自身もかつて訪れたことが御座いますが、
ここは厳格なカルヴァン派の伝統が残る場です。
そんな中で育ったデュナンの父親は福祉孤児院の仕事に関わっており、
母親は母親で福祉活動に熱心だったといわれています。

1859年、彼は事業の請願の為、
イタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国と戦っていた
ナポレオン3世に会いにいき、
北イタリアでソルフェリーノの戦いに遭遇。
この戦いは両軍合わせて20万を超える軍隊が衝突し、
4万人近くの死傷者が出る激戦だったそう。

この時デュナンは戦場に放置された死傷者の姿を見て、
その救援活動をしている地元の女性たちの群れに入り、
自らも救援活動に参加したとのことです。
1862年、その体験を書いた『ソルフェリーノの思い出』を出版、
これが戦場に於いて敵味方の区別なく負傷者の救護に当ることを目的とする
赤十字の創設の契機となったらしい。

1863年、ジュネーヴで負傷兵救済国際委員会が結成され、
これが赤十字社の誕生に発展。
その後、各国赤十字社の創設から国際赤十字に向かっていく過程で、
赤十字の活動範囲は戦争捕虜に対する人道的救援、
一般的な災害被災者に対する救援へと拡大していったが、
彼自身はこの活動から身を引き、世間からも忘れられていた。

晩年、ドイツのシュトゥットガルトの老人ホームにいたところ、
たまたま老人たちの話を聞いていたジャーナリストが彼と気が付き、
それが第1回ノーベル平和賞の受賞に繋がった。
尚、賞金は本人の希望で全額赤十字に寄付された。

赤十字のマークは彼の母国スイスの国旗が元となっている
という説が有力である。
現在、スイスのハイデンにアンリ・デュナン博物館があるそう。
また、彼の誕生日である5月8日は、
万国赤十字デーという記念日となっているのだとか。
デュナンは現在赤十字を創設した為、赤十字の父と呼ばれている。

『戦場に於いて敵味方の区別なく負傷者の救護に当る』
が人類に於いて最も大切な姿勢であり、最も胸を打つ観念だと思いました。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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泡盛の謎

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最近よく飲むのが焼酎ですが、
鹿児島の芋焼酎にはまりつつも泡盛を飲む機会は結構ある。

泡盛は米を原料とした沖縄県の特産品、
黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である
黒麹によって発酵させたもろみを蒸留した蒸留酒のこと。
原料の米は日本酒と異なり、インディカ米であり、
主にタイ産の砕米が用いられるそう。
3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれるらしい。

戦前には鹿児島県奄美地方でも製造されていたが、
現在は作られていない。
また本場泡盛・琉球泡盛の商標を付けることができるのは
沖縄県で作られたものだけ。
因みに台湾等に於いても泡盛を作る酒造所があるそう。

直、製造時の副産物であるもろみ(酒粕)は
加工され『もろみ酢』として販売されており、
近年の健康ブームの中で人気を得ている。

私が時々飲んでいる『もろみ酢』は泡盛製造時の副産物なのね。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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2008年09月22日

名護漁港セリ市散策体験 @ 沖縄

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以前行った沖縄の冊子を久しぶりに見ていたら、
名護漁港セリ市散策体験&
ヴィラズ内和食レストラン『神着(かぬちゃ)』シェフ料理
というのがあった。

それによると、一般人が入れないセリ市に
ホテル・スタッフが案内してくれるそう。

朝、名護漁港(漁協)にてセリ市を見学し、
実際にセリを体験した後は、
自身で選んだ魚を仲買人に競り落としてもらえるんだとか。
それでもって、その魚をスタッフがホテルへ持ち帰り、
ホテル・シェフがお好みの料理に調理。

活き造り、塩焼き、煮付け、唐揚げ、お汁などなど、
『神着(かぬちゃ)』のメイン・ダイニング
満喫できるというからこれまた凄い。
その日に獲れた魚をその場で食べることって
滅多にないからね。

南国の楽園風景に囲まれながら、
洗練されたリゾート空間で、
沖縄ならではのシェフ御自慢のお魚を
是非いずれ楽しんでみたいものです。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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琉球在来豚アグー

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アグーってよく耳にするけどあんまりよく知らない豚だよね。

琉球在来豚アグーは14世紀に
中国との進貢貿易の仲介役として琉球に移り住みました。
久米三十六姓と呼ばれる中国人の集団が持ち込んだとか。
その後、長い年月の間、琉球王国で親しまれ、
飼われ続けてきたらしい。

しかし、アグーは小型で生産性が低く、
一回の出産で生まれる子豚の数も少ないよう。
しかも、廃藩置県後の明治以降に始まった
肉の増産を目指す国策により、
外国の大型種と交配され、雑種化されていった模様、
更に第2次大戦では戦闘の影響によりその頭数自体が激減。
故に戦後の沖縄養豚は西洋白色種の豚が主体となってしまったのです。

アグーが再び注目されるようになったのは1980年代に入ってからで、
在来家畜が消滅することに危機感を持った名護博物館
琉球在来豚アグーの保存に乗り出したのがきっかけ。

それでも、当時の調査で確認できたのは県内でわずか30頭、
その生産性・経済性の低さから、
残念なことに一般の養豚関係者の興味をそそりませんでした。

その中で唯一、沖縄県立北部農林高校が繁殖に協力し、
限られた個体同士やその子孫間の交配をすることによって、
ゆっくり、少しづつその数を増やしていきました。
現在沖縄県内で飼養されているアグーの多くはその末裔。

こうして絶滅の危機はまぬがれた琉球在来豚アグーですが、
近親交配が繰り返されたことによる繁殖障害問題に直面しました。
幸い沖縄県内の何軒かの養豚場には
未確認の個体がひっそりと残っていたとかで、
これらの個体を交配に利用することにより、
繁殖障害を減らすことができているそうです。

近年は沖縄食文化の中心にある豚肉の中でも
優れた肉質を持つ沖縄固有の豚・琉球在来豚アグーを
遺伝資源として保存・活用していく為に
『琉球在来豚アグーの遺伝的資源の確保・安定供給体制支援事業』
が実施されています。

今後も沖縄ブランド豚の作出に努め、
琉球在来豚アグーの保存に少しでも貢献したいというのが
この事業の趣旨のようです。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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日本初の本格的ラグタイム・オーケストラ誕生

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日本初の本格的ラグタイム・オーケストラ誕生、

祝『GRANDPA'S RAGTIME ORCHESTRA』!!!!

ジャズ&ラグタイム 


【ピアノ:アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ 】
サンクト・ペテルブルグ出身。幼少よりピアノを始め音小・音中・音高を経てリムスキー・コルサコフ音楽大学、ケルン音楽大学(クラシック・作曲科、クリストフ・メイヤー教授、ジャズ・ピアノ科、ジョン・テイラー教授師事)にて10年間修学(ドイツ及びロシアの大企業より奨学金取得)。クラシック作品(チェロとピアノの2重奏、ソプラノのための歌曲、電子音楽の無限大カノン、ヒンデミス・ピアノ曲のオーケストラ化、ロシア民謡楽団のための日本歌曲他)・オーケストラ共演多数。ロシア最高のラグタイム・ピアニスト、ジャズ・オルガン奏者として様々なジャズ・フェスティヴァルで活躍。また、作・編曲家としても国境を越えて活動。報道記事、ラジオ録音多数。ドイツ文部大臣、ロシア政府、ヨーロッパ貴族認定の実力。日本各地で公演の他、今後、多くの国際ジャズ・フェスティバルに 出場予定。2004年8月にデビューCDをリリース。



【ヴォーカリスト:裕美・ルミィヤンツェヴァ】 
横浜出身。4歳より音楽教室に通いオルガン・ピアノ 《阿部明子(武蔵野音楽大学卒)、井上百合子教授(東京芸術音楽大学・同大学院卒)師事》・アンサンブル演奏・声楽に携わる。希望ヶ丘高校卒業後、語学留学(英)、ケンブリッジ大学検定試験特級コースを終了。ドイツ留学を経て、独語、独文学、ドイツ語経済・産業・商業の資格を取得。詩人、ジャーナリスト、翻訳・通訳家として国境を越え活動。同時に、ナイツブリッジ大学にて 英文学専攻(フォン・ツークバッハ教授師事)。後に、ロシアにて本格的に音楽活動。アレェクサンダー・カヴァレンカ(リムスキー・コルサコフ音楽大学声楽科卒)師事。数々の国際ジャズ・フェスティバルに出場しマスコミより注目を浴びる。フリーランスとして、ジャズ欄、文化・芸術欄にて連載。イベント企画に力を注ぎ、ショウ・ビジネスの世界でも活躍。



【クラリネット:後藤 雅広】 
北海道出身。法政大学卒業後渡米、ニューオーリンズで現地のミュージシャンと交流を持ち、ニューオーリンズ名誉市民に登録される。外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加,プロ活動を開始、以後東京ディズニーランドでも15年間演奏。1998年退団後フリーランサーとして活動している。自己のバンドのほか中川喜弘とデキシーサミット、白須孝尚とスイングボックス、田畑貞一G、浅草ハブ・デキシーランダースなどに所属。都内及び近郊のライブスポット(スイング、スイングシティ、関内BARBARBARなど)にて主に活動中。録音CD多数、ロサンジェルスのクラシックジャズフェスティバル、サクラメント・ジャズジュビリーに1999年、2000年連続参加。1999年録音した「ロッキン・イン・リズム」は月刊ステレオ(音楽之友社発行)で2000年度のポピュラー部門優秀録音年間第2位を受賞。



【ウッドベース:小林 真人】
東京出身。早稲田大学ニューオリンズジャズクラブでベースを始め、三上和彦のグループでプロ入りスタートした。1983年サクラメント・ジュビリー(故)マキシン・サリバンのサポートを受け持ち、1988年外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加、1993年にフリーとなり現在は 北村英治のグループに在籍(1996年から3年間オランダプレタジャズの出演)スタイルに関係なくスイングするベースマンを心掛けている。



【トランペット:筒井 政明】
福岡県出身。関西大学時代にビッグバンドのトランペットでバンマスを務める。卒業後上京し、1978年スイング・ジャーナル最優秀新人賞受賞。小林陽一バンド、高瀬アキバンド、チャーリー石黒と東京パンチョス、自己のバンドなどで活動、1982年からは『薗田憲一とディキシー・キングス』にも在籍、日本のみならず海外へも親善使節として遠征。現在も筒井政明&レッド・シェイカーズ、北村英治クインテットをはじめとする多々のバンドで活躍、ディキシー、スイング、モダンジャズと幅広く演奏し、都内ジャズ・クラブ(銀座スイング、シグナス、ナッシュビル、赤坂Bb他)や各種コンサート、小中高の学校公演などに出演。また、トランペット講師としても経験を積み、ミューズ音楽院、ヤマハのクリニックなどを経て、現在は個人レッスンで初心者の奏法からジャズ演奏・アドリブなどを指導している。


【ウッドベース&チューバ:加藤 真人】
通称加藤人、北海道十勝の上士幌町出身のチューバ&ベース奏者。帯広三条高校、日本大学芸術学部音楽学科卒。チューバ奏者としてデキシー・キャッスルを経てフリーとなり、26歳からウッドベースに挑戦。花岡詠二&スイング・ショッツ、スタイル・オーケストラのレギュラー・ベーシストとして、ディキシー&スイング系の多くのプレイヤーと共演。自己のグループでは地元の上士幌町の北海道バルーン・フェスティバルのコンサートに10年に渡って出演し好評を博している。


【クラリネット:高橋三雄】
横須賀市出身。地元の栄光学園中学校ブラス・バンドでクラリネットを習得、大学時代にサックスも開始し、クラシックからジャズまで幅広い演奏活動を行う。この頃からニューオリンズ・ジャズに目覚め、他大学の学生とニューオリンズ・ストンパーズを結成し、ニューオリンズ・ジャズを追求。入社後大阪転勤を機に『ニューオリンズ・ラスカルズ』に加入、毎週曽根崎『ニューサントリー5』でライブを重ねる傍らラジオ出演やレコード制作を行う。ニューオリンズ・ジャズ普及の功績が認められ、ニューオリンズ市より名誉市民章を授かる。同章受賞の際、ニューオリンズのみでなく全米を演奏旅行し好評を博す。東京帰任後も東京の唯一のニューオリンズ・バンド『ラグピッカーズ』に参加。1999年サラリーマン生活をリタイアし、アルト・サックスとクラリネットのワン・ホーン・バンド演奏活動を開始。現在は東京、湘南、横浜等を中心にライブ活動を行う一方、県央のビッグバンド、Big18オーケストラでリードアルト奏者を長年務める。2002年から演奏活動の傍ら『高橋サックス教室』も開設、後進の指導にも当たりつつ、『歌心を重視し良い音でスインギーなジャズ』を自身の音楽的信条としている。


【トロンボーン:松本耕司】
関西出身、若い頃から吹奏楽に携わり精力的に活動、我が国のグレン・ミラーと言わんばかりに譜面をアレンジしつつ、数々のバンドを率いるトロンボーン奏者。新宿トラッド・ジャズ・フェスティバルで活躍中のトロンボーン・サミットをはじめ、松本耕司カルテット 、松本耕司とのディキシー・トリオ、松本耕司&City River Jazz Bandなどなど、様々なバンドで名演を披露している。北浦和ペントハウス、新宿銅羅、北浦和 パラダイス・ロードと関東界隈のライブ・スポットから、北浦和西口音楽祭、サッチモ祭、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブ稲門会、赤煉瓦サマージャズin 舞鶴と日本全国のジャズ・フェスティバルまで、巧みなMCと幅広いレパートリーで人気を博しているベテラン・プレイヤー。


【ドラムス:東城弘志】
1970年広島出身、早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズ・クラブのOB、2006年7月よりニユーオーリンズ・ノウティーズにレギュラー加入。普段はホテルの調理人を務め、包丁とスティックを上手く使い分け、仕事にライブにと走り周っている多彩な才能の持ち主。走り周るのに大切な栄養学とニューオーリンズ・ジャズ・ドラム奏法に生きがいを感じつつ、キャナルストリート・ジャズハンドをはじめとする様々なバンドで活動中。2001年3月に初めてニューオリンズの街を訪問し、本場の音楽を体験、2005年にハリケーン被害に見舞われたジャズの発祥地の為に復興援助活動に力を注ぐ傍ら、『大好きな街への恩返しとして、僕はニューオリンズ・ジャズを続けます』と決意、ニューオリンズ・サウンズをより多くの人々に聴いてもらいたいと精力的に活動している。


【ドラムス:木村純士】
1993年、関西にて大阪音楽大学の学生を中心に結成されたBLACK BOTTOM BRASS BANDでスネアドラム・パーカッションを務める売れっ子スター。スト リート・パフォーマンスが話題になり、1996年、ポニーキャニオンよりメジ ャー・デビュー。1997年、憧れのニューオリンズにてライブ&レコーディングが実現し好評を博す。新聞・雑誌で取り上げられ話題になって以来、ニューオリンズのミュージシャンと親交を深めている。別名はOji(オウジ)、ニューオリンズ・ラスカルズのドラマー木村陽一氏の御子息であり、同じくドラムの名手。2000年、プライベート・スタジオ『キンシャサ・ スタジオ』を設立した他、2003年 、ビクターより結成10周年記念アルバムをリリース。バンド・メンバーと力を合わせ、全国各地で大活躍、青少年に目を向け開催しているワークショップ活動も大好評、子供たちに音楽の素晴らしさを伝え続けている。



【トロンボーン:市川勉慶】
遊び心ある父親、故薗田憲一に『人から忘れられない名前を』と勉慶(べんけい)と名付けられたが、流石に弁慶でなく勤勉の『勉』を含む『勉慶』。大学卒業後、映像制作会社に2年程勤務したが、癌闘病生活中の父親の代わりにエキストラ出演していた中島三郎のパワフルなトロンボーンに影響を受け、学生時代から吹いていたトロンボーンを続ける決意、Dixieland Jazzの道を目指す。言うまでもないが、勿論、父の奏でるトロンボーンに魅了され、特別思い入れあるこの楽器に愛情と情熱を注ぎ込んでいる。現在、薗田憲一とデキシーキングスのトロンボーン奏者としてイベント・コンサート、ライブなどに参加する他、自己のバンド、F-BENKS・Shining Fellowsで活躍中。



【クラリネット:新谷健介】
1982年生まれ 26歳、10歳からクラリネットを始める。『早稲田大学ニューオルリンズジャズクラブ』でトラディショナルジャズを覚える。現在、洗足音楽大学ジャズ科で学び中。 『ニューオリンズジャズハウンズ』所属、2008年5月 ニューオリンズのジャズフェスティバル出演



【チューバ&バンジョー:関多加志】
横須賀出身、横須賀育ちのサラリーマンである傍ら、楽器、鉄道、車をこよなく愛し、チューバ&バンジョー奏者として様々なバンドに参加。第4級アマチュア無線技士、原動機付自転車運転免許、第1種普通自動車運転免許、普通自動2輪車(小型限定)運転免許、第1種大型自動車運転免許、第1種けん引自動車運転免許を所持しつつ、鉄道マニアという独特の趣味を持ち、スバル LE−TV1(サンバーバン)、スズキ コレダS10(K125)、五羊本田 WH125−3(CG125)、ホンダ A−C50(スーパーカブ)&安い自転車を愛車としている風変わりな男児。そんな彼が最も尊敬する人があのスパイク・ジョーンズ、デキシー、ラグタイム、コミックバンド、カントリーの要素をたっぷりと吸収している軽快な2ビートの音楽を好む演奏家だけにステージ展開が毎度楽しみ。面白可笑しいコメディーの醍醐味をよく知っているショウ・ビジネスへの理解がとても深いプレイヤー。




お気軽にご連絡下さい!!! nqb30846@nifty.com

心よりお待ち申しあげております。

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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アンリー・デュナンの謎

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先日、赤十字関係者と会食致しました。
その際に頂戴したのが赤十字創始者、アンリー・デュナンのしおり。

本名はジャン・アンリ・デュナン、フランス語でJean Henri Dunant、
1828年5月8日 から1910年10月30日を生きたスイスの実業家。
赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞、
生没年はあのロシアの小説家、レフ・トルストイと同じだとか。

生まれはスイスのジュネーヴ、
自分自身もかつて訪れたことが御座いますが、
ここは厳格なカルヴァン派の伝統が残る場です。
そんな中で育ったデュナンの父親は福祉孤児院の仕事に関わっており、
母親は母親で福祉活動に熱心だったといわれています。

1859年、彼は事業の請願の為、
イタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国と戦っていた
ナポレオン3世に会いにいき、
北イタリアでソルフェリーノの戦いに遭遇。
この戦いは両軍合わせて20万を超える軍隊が衝突し、
4万人近くの死傷者が出る激戦だったそう。

この時デュナンは戦場に放置された死傷者の姿を見て、
その救援活動をしている地元の女性たちの群れに入り、
自らも救援活動に参加したとのことです。
1862年、その体験を書いた『ソルフェリーノの思い出』を出版、
これが戦場に於いて敵味方の区別なく負傷者の救護に当ることを目的とする
赤十字の創設の契機となったらしい。

1863年、ジュネーヴで負傷兵救済国際委員会が結成され、
これが赤十字社の誕生に発展。
その後、各国赤十字社の創設から国際赤十字に向かっていく過程で、
赤十字の活動範囲は戦争捕虜に対する人道的救援、
一般的な災害被災者に対する救援へと拡大していったが、
彼自身はこの活動から身を引き、世間からも忘れられていた。

晩年、ドイツのシュトゥットガルトの老人ホームにいたところ、
たまたま老人たちの話を聞いていたジャーナリストが彼と気が付き、
それが第1回ノーベル平和賞の受賞に繋がった。
尚、賞金は本人の希望で全額赤十字に寄付された。

赤十字のマークは彼の母国スイスの国旗が元となっている
という説が有力である。
現在、スイスのハイデンにアンリ・デュナン博物館があるそう。
また、彼の誕生日である5月8日は、
万国赤十字デーという記念日となっているのだとか。
デュナンは現在赤十字を創設した為、赤十字の父と呼ばれている。

『戦場に於いて敵味方の区別なく負傷者の救護に当る』
が人類に於いて最も大切な姿勢であり、最も胸を打つ観念だと思いました。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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泡盛の謎

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最近よく飲むのが焼酎ですが、
鹿児島の芋焼酎にはまりつつも泡盛を飲む機会は結構ある。

泡盛は米を原料とした沖縄県の特産品、
黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である
黒麹によって発酵させたもろみを蒸留した蒸留酒のこと。
原料の米は日本酒と異なり、インディカ米であり、
主にタイ産の砕米が用いられるそう。
3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれるらしい。

戦前には鹿児島県奄美地方でも製造されていたが、
現在は作られていない。
また本場泡盛・琉球泡盛の商標を付けることができるのは
沖縄県で作られたものだけ。
因みに台湾等に於いても泡盛を作る酒造所があるそう。

直、製造時の副産物であるもろみ(酒粕)は
加工され『もろみ酢』として販売されており、
近年の健康ブームの中で人気を得ている。

私が時々飲んでいる『もろみ酢』は泡盛製造時の副産物なのね。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
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